《 「めくら(盲)」を比喩的に使うことは 》

 

「めくら板」「めくら止め」「めくらバン」「めくらをする」などの表現について

  

□「めくら(盲)」という言葉について

  

「めくら(盲)」という言葉は、目の不自由な人を言い表す言葉ですが、目の見えないことをもって、視覚で物を見ることができないから「ものが理解できない人」の比喩として時に使われたりします。

 

「めくらヘビにおじず」という表現を使ったり、書類の内容について視覚を持って確認できないだろうから、内容も見ずに無責任に承認印・決済印を押すことを「めくらバン」と言ったりします。

  

□言葉の持つ重み

  

このような表現は、目の見えない人への正しい理解を欠くことによるものであり、そのことにより目の不自由な人たちの人格を大きく傷つけることにもつながっているのです。

  

視覚が不自由であることは、その不自由さはありますが、聴覚や触覚など、人が持っているさまざまな能力によって、物事を理解したり、感じ取ったりしているのです。人間は、さまざまな能力を駆使して生活しているのです。その能力の一部が不自由であると、他の機能でそれを補って対応しているのです。そのことを多くの人は、気づきにくいのです。自分の身にその不自由さが体験されるとき、初めてそのことに気づくようです。

  

そのため、私ができる方法で物を理解することに不自由さを持っている人たちを、同情的に見てしまったり、何かができない人だと決めつけてしまいがちなのです。そして知らず知らずのうちに、その人の人間としての尊厳まで傷つけてしまうのです。

  

□言葉を受け取る人の感情に思いを至らせる

  

言葉は、物や行動を言い表すための道具であり、その道具をどのように使うか、そのことにより相手の人にどのような思いをさせるかは、私たち一人ひとりの心の持ち方によるのです。

 

本来、「めくら」という表現に差別性はなかったのですが、目で見えないことが物を理解できないことの比喩や、要らないものに蓋をしたり、見せたくない物をふさいだりする行動を言い表すための比喩として使われることが当然とされたため、「めくら」という言葉に差別的なイメージを植えつけてしまったのです。

  

□今使われているその言葉を変えるのは誰?

  

この事を知るならば、職場で今も使われている、「めくら(盲)」を比喩的に用いた表現は、直ちに使用を止め、その行動の趣旨を適確に言い表す表現としなければなりません。

 

変えるのは“私自身”であり、会社に働きかけ、必要があれば会社の規則をはじめ業務に関わるすべての文章等を見直すことが求められています。

  

●「伏せ板」「フランジ止め」「無責任に判を押している」「穴をふさぐ」など、そのものの機能や行動を具体的に表現する言葉を用いることが必要です。

  

【男女雇用機会均等法】

 男性または女性を表す語を含む職種の名称を用いることを禁止しています。

 ・「営業マン」   =>「営業職」「営業パーソン」

 ・「看護婦」    =>「看護師」

 ・「スチュワーデス」=>「客室乗務員」「キャビンアテンダント」

 ・「保母」     =>「保育士」

 男女の別で仕事の役割を固定することのないよう表現を変える取り組みなのです。

  

もし、このような言葉が業界用語として使われているとしたら、どのように対応しますか。

 

他企業と共同作業するうえで、慣習として上記の言葉が使用されている場合は、その企業に働きかけ、そのような慣習を変えて行く行為が必要です。

 

もし、あなたが業界全体を変えることなどできないと考え諦めたら、あなたのその行為は、見てみないふりをして差別的表現を許すことになり、いやな思いをする人たちを増やし続ける行為者ともなるのです。

  

あなたの思いを伝えることを恐れることはありません。

あなたの素直な思い(Iメッセージ)をしっかり伝えれば、相手の方はきっとあなたの思いを受け止めてくれるでしょう。

けっして相手の方を悪者にしてはいけません。

  

気づいたら即対応、あなたの行動が誰もが活き活きと暮らせる社会の創造へとつながるのです。