精神病でまちおこし浦河「べてるの家」 

 

向谷地生良著『「べてるの家」から吹く風』(いのちのことば社)から学ぶ 

 

幻聴と妄想の世界をみんなで楽しむ 

 

 2003年5月17日。浦河町のメインストリートに面した町民ホールは、全国から集まった約530人の人たちで埋め尽くされた。毎年5月に開かれる「べてるの家」の総会は、今や知る人ぞ知る浦河町の名物行事。毎年泊りがけで参加し、自ら「べてらー」「おべてりあん」と名乗る人もいるほどだ。
 総会では、過去1年間の活動報告や今後の抱負などを当事者が順番に語る。胸を張って海産物を加工した新製品をちゃっかり売り込んだり、ユーモアたっぷりに仲間や自分自身を褒めるたびに、笑いと拍手が巻き起こる。
 当事者や参加者がもっとも楽しみにしているのが「G&M大会」。Gは幻覚、Mは妄想の頭文字。過去1年間でべてるのメンバーたちが経験した幻覚や妄想、それにまつわる言動の数々からユニークなものが選ばれ、表彰されるのである。
 精神病の忌むべき症状としてとらえられている幻覚と妄想を、「べてるの家」では否定しない。それどころか幻聴を「幻聴さん」と呼んで親しみ、「2階の窓から緑色の牛が覗いた」という妄想にとらわれた人の話をメンバーたちが真面目に議論する。それが「2階の窓から覗いたということは、足が長い牛だったのか、キリンのように首が長い牛だったのか」という議論だというのだから、幻聴・妄想と聞いて身構える人は何とも言えない脱力感にとらわれることになる。「治療しなくてもいいのか」と疑問を抱く人もいるだろう。しかしこうした精神病との向き合い方こそが「べてるの家」の原点なのだ。
 

 

「悩む力」を大切に 

 

 今もなお暗く悲惨なイメージがつきまとう精神病。幻聴や妄想といった独特な症状のせいもあって、多くの人が仕事や家族・友人などの人間関係、すなわち社会との接点を失ってしまう。それがまた当事者から気力や自信を失わせ、さらに病気を悪化させ、いよいよ一般社会から遠ざかる……という悪循環をたどることになる。これは差別や偏見に基づいた隔離医療が犯した大きな過ちであることに間違いはない。そこで「心ある」医療者や支援者は何とか精神病を治癒あるいは克服させ、社会復帰できるよう力を尽くす。しかし「べてるの家」は、一般にイメージされるような「病気や障害を克服し、健常者と同じように生活する」社会復帰を目指してはいない。自ら「社会復帰を目指さないソーシャルワーカー」を名乗る向谷地生良(むかいやち・いくよし)さんは、こう語る。
「いわゆる精神障害をもっていない人でも、この社会には生きづらいことがいろいろあります。私のように仕事があって収入があり、それなりに社会的安定を保障された者でも苦労や不安が絶えない。まして精神障害を体験した人が生きていくには、二重三重のハンディがあるわけです。それなのに自立や元気を求め、それらを前提とした社会復帰を促すのはおかしいのではないかと思うんですよ」。
 確かに、病気や障害をもたずに社会生活を営んでいる人にも悩みや不安はある。仕事があってもリストラや倒産の不安はあるし、家庭があれば夫婦げんかや子育てに悩んだりもする。人は生きている限り、悩み続ける存在なのかもしれない。逆にいえば、悩むからこそ人間であるといえる。「べてるの家」では、これを「悩む力」と表現し、大切にしているのである。
 

 

昆布も売ります、病気も売ります 

 

「病気だから」「障害があるから」と、健常者たちは病者・障害者を「保護しなくてはいけない」と考えがちだ。薬で症状を消し、仕事を取り上げてお金を与え、立派な施設をつくる。しかし一時的に症状が消えても病気が治ったわけではなく、お金は使ってしまえば何も残らない。一方で、症状やお金の不安がなくなっても、将来の不安や施設での人間関係のトラブルなど、やはり悩みの種は尽きない。
 それならば、いっそのこと
「悩み(苦労)を取り戻そう」というのが「べてるの家」の考え方だ。「べてるの家」の授産施設は、病気や障害を克服し元気な社会人として社会復帰するための場ではなく、人としてあたりまえの苦労を存分に味わう場なのである。具体的な暮らしの悩みとして問題を現実化し、仲間同士で共有しながら生き抜くほうが、病院や施設や薬に守られるよりも実は生きやすい。この考えをもとに、地元特産の昆布の産地直送事業や紙おむつの宅配など、「べてるの家」はさまざまな事業を興してきた。「生きる苦労」を取り戻すために。
「生きる苦労」に直面すれば、きれいごとだけではすまない。「心やさしい人が精神病になる」という美しき誤解があるが、「べてるの家」では世間並みに十分醜い人事抗争も発生する、と向谷地さんは言う。本音やエゴをぶつけ合い、妄想の世界と現実を行き来しながら、自分や相手の病気を受け止め、あるがままを生きる。そのパワーに医療者や見学者も巻き込まれ、「がんばり過ぎている自分」「無理している自分」を振り返らずにはいられない。「べてるに来ると病気になる」と言われる所以だ。
 また、
「生きる苦労を取り戻す」とは決して「真面目」「忍耐」「勤勉」などを身につけることではない。失敗を繰り返す自分、そういう自分を許し受け入れてくれる仲間がいることを実感し、自分もまた仲間を許し受け入れる。あるいは自分の失敗は自分で責任を取る。その経験こそが「生きる苦労」であり、目的なのだ。この思いは「べてるの家」のキャッチフレーズ、「弱さを絆に」「三度のメシよりミーティング」「昆布も売ります、病気も売ります」「安心してサボれる会社づくり」「精神病でまちおこし」にも込められている。 

 

ユーモアと温かい眼差しに包まれて 

 

2003年度のG&M大会。グランプリには、台湾旅行中に発作を起こした早坂潔さんが選ばれた。スライドで旅の経過とともに早坂さんの様子がユーモアたっぷりに報告され、向谷地さんや日赤浦河病院の精神科医、川村敏明さんの「一緒に行かなくてよかった」という言葉に会場が爆笑する。流行語大賞には統合失調症ならぬ「逃亡失踪症」が選ばれ、こっそり職場を抜け出すのが抜群にうまい荻野仁さんが元祖逃亡者として認定、表彰された。記念品は「安心して逃亡できる、逃亡用サンダル」だ。また、自分の幻聴に「くどう・くどき」君と名前をつけ、数多い「べてるの家」の幻聴さんのなかでもマスコット的存在として親しまれる幻聴さんを育てた林園子さんには、最優秀新人賞が贈られた。発病し、名古屋から浦河へやって来た林さん。「名古屋で元気でいるより、浦河で病気でいる方が幸せです」とコメントした。賞品は、しつこい幻聴が出た時のための「くどうくどきがやって来た、それはきっと暇なのよすごろくゲーム」。メンバーやスタッフ手作りのゲーム盤にはユーモアと温かい気持ちがたっぷりつまっているのがわかる。そしてその気持ちは会場全体に伝わっていく。毎年参加する人の気持ちがよくわかる雰囲気だ。
「べてるの家」の販売部長であり、もっとも有名なメンバーでもある早坂さんだが、G&M大会での受賞は初めて。「無冠の帝王」と呼ばれていた早坂さんの喜びの声を紹介しよう。「びっくりした。オレが9年かけてとれなかったGM大賞を(これまでは)新人がとっていった。簡単なようで難しい賞だ。やたら病気が出て入院すればもらえるってもんじゃない。ここに来てからの20年は深いべ。これからもたくさんの若い人、悩んでる人に浦河に来て、「べてる」に来て、苦労していってほしい」。

 

顔の見える関係づくり

 

地域の事業主たちと交流し、今や年商1億円を売り上げ、年間千人を超える人々が見学に訪れる「べてるの家」。地域との摩擦や就労の難しさに悩む人々から成功の秘訣を聞かれることも多い。しかし、特別なことをしたわけではないと向谷地さんは言う。「むしろこんなに地域に迷惑をかけたところは他にないんじゃないかと思いますよ。火事を出したりケンカで大騒ぎしたりと、大変なことがたくさんありましたから。それなのになぜ地域の人たちが反対運動も起こさずにいてくれたのかというと、顔が見えるからじゃないでしょうか」。騒ぎを起こせば、当然、近所から苦情が出る。「責任者、出てこい」という話になる。ところが「べてるの家」には責任者がいない。そこで火事やケンカの当事者はもちろん、他のメンバーも連なって近所や警察、消防署へお詫び行脚に出かけることとなる。だから地域の人たちは、「べてるの家」にどんな人たちがいるのかをよく知っている。「すると、誰々さんがまた酒を飲んでるわという感じで、それはもう許せるんですよ。調子がいい時には隣近所の人たちと立ち話したり、一緒に自治会の集まりに出たりして。一人ひとりがちゃんと顔を見せて人間同士のつきあいをしていれば、周りを困らせたり失敗しても、不思議と受け入れられる。そして事を起こした時の後始末にもやっぱり当事者の顔があるという、そういうの問題だと思うんですね。それを我々のような立場(医療者やソーシャルワーカーなど専門職)の人が代わりにカバーしたり何かとしゃしゃり出たりすると、「ちゃんと管理しろ」「責任とれ」という話になってしまう」(向谷地さん)。
 ちなみに、「べてるの家」には規則や決まりもない。作っても守られたためしがないからだ。守らせようとすると、守らせようとした人自身が「絶対、病気になる」とすら言われている。
 

 

右肩上がりをよしとする価値観を見直す 

 

また、「べてるの家」は、町や地域を褒めることを忘れなかった。「これは大事なことです。私たちは偏見や差別にあったとしても声高に糾弾するのではなく、逆にグッと自分たちを抑えながら、この町はいい町だよ。住んでる人たちはぼくたちが何度失敗しても辛抱してくれていると褒めてきたんです。悪口を言わないことを大事にしてきた。これは作戦としてね」。さらに、地域の人たちに対して自分たちの理念を伝えることが大事だという。それも精神障害者の云々ということを超えて、住民としてどういう地域をつくっていきたいのかという理念を伝えるんです。いわゆる精神障害に引き寄せた議論は、町の人たちにとっては自分の問題にならない。でもいい町にしたいという理念に対する反対は絶対に起きないですよ。だからぼくたちがひたすら言ってきたのは、日高昆布を売りたい、寝たきりの人たちのために紙おむつの宅配をやりたい、この町をもっとよくするために一生懸命やりたいということなんです
 浦河町の人々が特別に理解があったわけでも、「べてるの家」の人々が特別にすばらしかったわけでもない。
ごく「普通」の人たちが、数多のトラブルを経験するなかでお互いを知り、許しあい、自分たちのやり方をつくり出してきたのである。そして今日もまた、「べてるの家」では誰かが発作を起こし、誰かと誰かがケンカをしている。そしてそれを見た人は言う。「今日も順調!」と。
 私たちは、国も人も右肩上がりがよしとされる社会に生きている。しかし、誰もが右肩上がりを目指す(あるいは強制される)ことのおかしさにそろそろ気付いてもいいのではないだろうか。
「べてるの家」の試みは精神障害に対するコペルニクス的転回のみならず、すべての人に通じる「楽しく、自分らしく生きるヒント」が満ち満ちている。